2008年11月25日火曜日

11/25 Today 三島由紀夫自爆(1970)

市谷の防衛庁でクーデターを試みるも失敗、割腹自殺。
三島由紀夫 - Wikipedia: "三島 由紀夫(みしま ゆきお、本名・平岡公威(ひらおか きみたけ)、1925年(大正14年)1月14日 - 1970年(昭和45年)11月25日)は、小説家・劇作家。また、右翼思想家。

代表作は小説に『仮面の告白』、『禁色』、『潮騒』、『金閣寺』、『豊饒の海』四部作など。戯曲に『サド侯爵夫人』、『わが友ヒットラー』、『近代能楽集』などがある。唯美的な作風が特徴。1970年、楯の会会長として自衛隊にクーデターを促し失敗、割腹自殺を遂げ世間を騒然とさせた(三島事件)。"

頭はよくてもアホな人間は居るのである。

三島由紀夫 - Wikipedia三島由紀夫、本名・平岡公威は、1925年(大正14年)1月14日、東京市四谷区永住町(現・東京都新宿区四谷)に父・平岡梓と母・倭文重(しずえ)の間に長男として生まれた。「公威」の名は祖父定太郎による命名で、定太郎の同郷の土木工学者古市公威から取られた。兄弟は、妹・美津子(1928年 - 1945年)、弟・千之(1930年 - 1996年)。

父・梓は、一高から東京帝国大学法学部を経て高等文官試験に優秀な成績で合格したが、面接官に嫌われて大蔵省入りを拒絶され、農商務省(公威の誕生後まもなく同省の廃止にともない農林省に異動)に勤務していた。

母・倭文重は金沢藩主、前田家の儒者橋家出身。東京開成中学校の5代目校長、漢学者の橋健三の次女。

祖父・定太郎は、兵庫県印南郡志方村(現・兵庫県加古川市志方町)の農家の生まれ。帝国大学法科大学(現・東京大学法学部)を卒業し内務官僚となり、福島県知事、樺太庁長官等を務めたが、疑獄事件で失脚した人物。

祖母・夏子は、父・永井岩之丞(大審院判事)と母・高(常陸宍戸藩藩主松平頼徳が側室との間にもうけた娘)の間に生まれた長女で、12歳から17歳で結婚するまで有栖川宮熾仁親王に行儀見習いとして仕えている。

公威と永井荷風は祖母・夏子の実家を通じて遠い親戚に当たる。正確には、夏子の9代前の祖先永井尚政の異母兄永井正直が荷風の12代前の祖先にあたる[1]。父・梓の風貌は荷風と酷似していて、公威は彼のことを陰で「荷風先生」と呼んでいた。

荷風の親戚でもある。また祖父の平岡定太郎は漱石と同窓。「それから」の不倫相手(三千代)のいやらしい旦那(平岡)のモデル。「門」にも引き続き登場。

三島が生まれた四谷永住町には当時「オカマ」がたくさん住んでいた。その通りを女中さんに連れられて蒲柳の質の三島は学習院に通った。三島のへんなコンプレックスはこの辺りから始まっているのか。





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